妙見温泉
  私が初めて妙見温泉を知ったのは、大学1年生の頃(=昭和60年頃)でした。当時旅に憧れていた私は北海道と九州に周遊券一枚とシュラフ(寝袋)をもって有効期限(20日)限界まで滞在するという旅スタイルにのめり込み、計画は入念にたてて、後は実行のみというほどの入れ込みようで夏休みを待っていました。そして待っている間の6月頃手にした「露天風呂百景」という本に当時の「雅叙園」が載っていたのです。私はなんとかやりくりし、嘉例川の駅から行けないかと考えました。しかし当時はバスの便もそれほど無く、何より国鉄線だった鉄路は乗り継ぎ自体が大変な時代で現代のサービスなど考えようもなく、学生にとっては「タクシー利用で行っても更に旅館での入浴のみ可能か分からない、つまりいくらかかるか予算が見えない」という様な状態でした。
  それから20年。時代は大きく変化し、なんと私が鹿児島の妙見温泉に初お目もじをする時代には九州新幹線が通り、嘉例川駅は国鉄「肥薩線」からJR「肥薩線」へ、更に肥薩オレンジ鉄道へと営業形態を変えていました。当然鉄路を利用しなくとももうレンタカー利用も可能な経済状態ですので、20年前に考えたプランも手つかずのままですが、私が思い描いた妙見温泉のイメージは現代でもあちこちに残っているような気がしました。


きらく温泉
    入浴=200円。8時〜20時。
    宿泊素泊まり2625円。
こたつ300円。(無くても過ごせます)。テレビ、冷蔵庫、電子レンジ使用無料
  当研究所すっかり鹿児島の激安湯治宿にはまってしまい、あちこちでお試し宿泊してしまいました。きらく温泉はきちんと旅館部と湯治部が分かれているようで上記2625円は湯治部の宿舎の値段です。   下の画像は24Hの大浴場の画像なのですが、明かりがほとんど無い上に、ご覧の有様で、何をどうやっても写りませんでした。しかし、炭酸湯がこれでもかと掛け流しでこちらも安楽に劣らない湯治宿です。


秀水湯
  上:湯巡りを終え、安楽温泉の宿舎に向かって国道を進んでいると、何とも言えない風情を放つ湯小屋が目に止まりました。

  左;この辺りは全体に画像のような言葉では表現しにくい美しさの天降川の渓流沿いにあり、当研究所も当初は川ばかり見ていました。
  しかしふと見ると理解しがたい看板が!?「秀水湯」という温泉なのか?、でも指圧ということは「マッサージ」は間違いない、では湯ではなく水、湧水なのか?
  どうみても一般の民家、そこが指圧院になっているようです。
  では、自家泉なのかと思いました。しかし、入り口には明らかに営業温泉としか思えない看板が下がっています。で、確認に行きました。

  するとなんと奥の方は湯治宿になっており、湯小屋は風流な竹筒に200円お賽銭式に払うほったらかし温泉でした。更に豪快な打瀬も別室についていました。
  上:浴室の入り口に成分表がありました。下:浴室と反対側に設置された打たせ。指圧院に設置されている関係から何となく温泉バカが利用するのは気後れし、利用しませんでした。(初めて訪問した時は使用中で、こう言うところは本当に必要な方が順番を待ってるかも知れないと思ったのです)


  当研究所が初めて秀水湯に遭遇した瞬間。まず湯船からのオーバーフローにびっくりしました。表面に炭酸がぴちぴち跳ねているサイダーの様な湯が絶えず湯船の縁をぬらし、洗い場をさらさらと渡っていました。   幸運にも初訪問時は貸し切りでした。元々洗い場もすごく狭いのですが、旨く対角線上に位置をとって写しました。パイプからの湯は飲泉というよりも浴びているような状態で、嘗めると舌にも炭酸を感じる強鉄味でした。
  笹濁り状態なのは全て細かな泡のせいです。七里田S湯を彷彿とさせるような泡付きで払っても払っても手や足にわらわらと丸いプチプチがついてきます。


  縁を越えていく湯は私が体を沈めたから「どど〜」となっているのではなく、湯船だけの状態でも、同じです。この秀水湯では縁が乾いた状態であることは無いのです。   この30分後くらいに三々五々地元の方が洗面器片手に歩いてくるようになりましたが、皆、この狭い洗い場でトドっていました。習慣化してるようです。





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