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さんない温泉
  青森市は言うまでもなく北海道への玄関口となっている町です。また背後には酸ヶ湯温泉を始め名湯揃いの八甲田山系を控え、お互いに見晴らすことが出来ます。
  青森市といえば県庁所在ですので、市街地を思い浮かべると思いますが、この市街地とはつまり駅や港の周囲と言うことになります。その住宅域には小さくは普通の銭湯のような温泉から、大きくはどう考えても温泉ぽくない日帰り湯(特に青森県は名前がちょっと安易かな〜と(笑))まで実に様々な温泉が市内にあります。更に地図で確認できる範囲まで視野を広げれば、そもそも酸ヶ湯温泉なども青森市なのです。このように県庁所在地という性格で青森市を捉えると、その中に奇跡の様な存在の「現代の秘湯」があちこちに発見できます。
  さんない温泉はそんな青森市でもトップクラスの「現代の秘湯」です。そもそもこの温泉はその湯船の大きさといい、注がれる湯の濃さといい、ぷんぷん臭う硫黄の香りといい、湯の濁り具合といい、とても青森の中心部からすぐの場所にある施設とは思えません。というのも、この温泉の湯は「草津温泉」や「蔵王温泉」「塩原元湯」など、誰でもすぐ思いつくほどの硫黄で有名な温泉に勝るとも劣らない湯がふんだんにかけ流されているからです。それなのに、この温泉のすぐ隣には有名な観光地「さんない丸山遺跡」があり、また目の前を走るバイパスの先にはイトーヨーカドーやイオンショッピングセンターなどやはり人がた〜くさん集まるところなのですから。
  こちら本当に温泉好きな方には是非一度体験して頂きたい場所です。必ず嬉しい驚きに会うでしょう。



さんない温泉
 下の画像手前の温泉成分がわかりますでしょうか。このように本当に濃い硫黄泉が注がれているのです。浴室内は硫黄の香りがむせかえり、湯をなめて2度びっくり。ものすごくしょっぱいのです。更に温泉成分の濃さは湯舟の中にも表れており、湯底は沈殿した成分でざらざら、右の人があまり近づかない壁際では泥湯の底の沼みたいな状態で体に塗りつけることも出来ました。  浴室の奧はトド天国でした。だいたいこの浴場、洗い場が狭いというか細長い傾向にあり、トドの人はもう少し考えてくれてもいいかなとも感じました。
 源泉は滝湯か打瀬のように注がれていました。それにしても青森の市内でこんな鶯色の極上ゲキ濃い硫黄泉に手軽に入れるとは、青森の底力というのはどの辺にあるのでしょう。
  湯船がこの規模でもきちんと掛け流しでいったいどれだけの湯量があるのかと思ってしまいます。


再訪しました。                      2005年8月
現在画像撮影禁止されています。
  前回は夜の訪問でしたので、今回は余裕を持って昼下がりに行きました。
  この標語「自然の霊泉長命を寿ぐ」もなかなかいい感じです。
  前回は取り損なった成分表。
  来ました。何も変わっていません。記憶の中の「さんない温泉」そのままです。
  やはりこの手の温泉は光の加減で様々に色を変え、実に美しいです。
  そして、なんと完全貸し切りになりました。この温泉で人がいないなど期待していなかったので、小躍りしそうになりました。しかし、次の瞬間・・・・・、かなり険しい顔で近づいてくる地元の方がお一人、指摘されて初めて気づきました。前回はそんなこと無かったのですが、今回は脱衣所の入浴の注意に「画像撮影禁止」と書いてあるのです。   地元の方はかなり不愉快そうでしたので、平謝り。そして帰りに受付で「画像消した方が良いでしょうか」と尋ねるとあまりこの問題には触れたくなさそうに「もうとっちゃったんなら記念なんだからいいですよ」と言われました。なにかあったんでしょうか?ご存じの方いましたら教えてください。


三内丸山遺跡
  少し堅い話になりますが、縄文時代と弥生時代を区分けする際、弥生時代の特徴として、「本格的な水稲耕作の開始」と「金属器の使用」が挙げられます。縄文時代はおよそ紀元前3前年ころ(今から5千年前)〜紀元前300年ころまでを指し(数字の間違いは温泉バカのHPなので許してください)、弥生時代とは紀元前300年〜西暦300年頃(つまりおよそ600年間続いた?)までを指すそうです。しかし、人間の営みはそう簡単に「いっせ〜のせっ」と変わるわけではなく、徐々に変わっていくわけですよね。その移り変わりの正に過渡期の様子をよく残しているのがこの「三内丸山遺跡」なのです。ここに住んでいた人は「縄文時代の暮らし」(すなわち採取や狩猟に頼っていて、自然環境に左右されやすい生活)をしながら、栽培(弥生時代の特徴)も行ってかなり文化的にも進んだ暮らしをしていたということがこの遺跡により分かるらしいです。歴史がお好きな方はここは本当にお勧めですよ。
  全景。
  この石は遺跡から出た物なのか?
  縄文人?ではありません。所長さんです。当研究所の夏の正装をしています。
  本当にこの様な家に住んでいたのでしょうか?
  この下の画像の塔は未だに何をするための物だったのか謎だそうです。
  しかし天気のいい日でした。
  高床式の倉庫。ちゃんと柱にはネズミ返しも付いていました。
  縄文人の家。















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