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八甲田温泉 遊仙
  県道40号。青森の市街地から八甲田を目指す2つのルートの内、ちょっと裏街道的なルートです。その昔、日本が日露戦争突入前(日露戦争は1904年、訓練は1902年)に寒冷地における局地戦を想定して行った真冬の八甲田縦走訓練。その青森県側からの最初のルートとなったのが、この田代平付近でした。ほぼ全滅した青森第5連隊は途中温泉ファンには名前が親しみやすい田代元湯などにも寄り、進むはずでしたが、もともとだだっ広い田代平付近のこと、完全に道に迷い、また指揮官の迷いなども重なって、撤退か続行かを繰り返している内に、200名あまりの隊員の内、そのほとんどを失う羽目になってしまったそうです。ちなみに、現在八甲田行軍の碑が建っている場所は、途中「隊」のため、自ら雪原の中に目印として立ち続けた「後藤さん」という方が、仁王立ちで死亡しているのを捜索隊が発見した場所なのだそうです。(この後藤さんという方が極低温で発見された後、奇跡的に蘇生しその後記録を残した物が今日我々が知る新田次郎原作「八甲田山 死の彷徨」などの八甲田行軍青森連隊の顛末なのだそうです)。我が家にある映画化された物語のDVDを見ると(高倉健と北大路欣也主演)人間の力のみで八甲田の冬を御するのがいかに難しかったか恐ろしいまでの迫力で伝わってきます。
  そのような八甲田の厳しい自然の中にあって、酸ヶ湯や蔦温泉より鄙びた感じなのがここ「八甲田温泉 遊仙」です。温泉も素晴らしいだけでなく、旅館の方が本当に親切で丁寧だったので、恐らく宿泊してもいい感じなのでは?という印象を持ちました。湯は非常に気持ちの良い真っ白な硫黄泉。しかも成分表を見る限りどうも露天と内湯でそれぞれ異なる源泉を使用している感じでした。内湯は上手に温度差が付けられた扇形の浴槽が気持ちよく、また露天は素晴らしいロケーションの中で、感覚が分かる方には完全に北海道にいると錯覚してしまいそうな植生に囲まれています。


  いかにも山岳温泉らしい八甲田温泉の宿舎前。Pは皆ダートで道路の反対側もP。大型車は楽々なのはもちろんのこと、どうも登山者のPも兼ねているようです。


   下:ファーストインプレッション。当初、灰色の湯なのかと思いました。この浴室はサンルームのようになっており、日の光でかなり温度が高くなっており、外に向かって沢山トド用の椅子が並んでいました。
  ところが光の加減がうまくいくところに行ってみると、白濁泉でした。   湯は区切りごとに温度計付きで温度調整されており、自分の好みの場所にはいると得もいわれぬ心地よさです。
  光の加減で「白」「乳青色」「乳緑色」「乳灰色」など変化していく湯。温度差は絶妙に付けてあり、必ず自分の適温が見つかります。   天井が高いのもリラックス感に一役買っていると思います。
  上:露天です。後ろに浴舎がなければ、北海道の「ほったらかし無料露天」(例えば羅臼熊ノ湯など)に来たような錯覚を覚えます。   下:内湯・露天共に素晴らしいお風呂です。露天は中央のしきりで2槽になっており、人がいない方に入っていれば、常に非日常感が味わえます。
  上:背後に龍がいるのが分かりますでしょうか。実はこのドラゴンを写したかったのですが、この日はすごい日差しで、どうしても石の材質から真っ白になってしまい、旨く写せませんでした。   下:もう好き勝手。あまりに人が来ないので泳いじゃいました(笑)。






オマケ  八甲田の四季
  青森第五連隊が彷徨したであろう田代平付近。田代平湿原へは八甲田温泉の前から遊歩道が着いており、1時間もあれば楽勝で堪能出来るコースとなっています。   当研究所はこれとは別に美しく豊富な湧水を探そうとあちこち行ったのですが、なにぶん町歩きは好きなのですがこういう半サバイバル(道がなきゃサバイバル)的なものは苦手なもので探せませんでした。グダリ沼とかなんとかそんな名前だったのですが。


  表ルート(酸ヶ湯側)の最も有名なポイントの一つ、「睡蓮沼」。ここは落ち着きます。   当研究所、物好きにも同じルートを冬の解禁日「4月2日」に訪問してしまいました。
  それがこの2枚の画像です。完全になめてました。まず、睡蓮沼へは長靴はおろか完全防備でもあの遊歩道に行くのが大変そうな上、何より、雪が邪魔して移動研究室をP出来ませんでした。   下:なにせ、丁度通行部分しか道がないのです。しかもこの壁の高さ。これでも低い方の壁です。移動研究室は丁度高さ3bなのですが。













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